Thursday, March 31, 2011

母国へ想いを馳せて.....

いつも通りまた、3ヶ月以上もご無沙汰してしまいました。

12月、1月と日本へ帰国したことも、そのうち書き綴ろうなんて悠長に思っていたのもつかの間。



3月11日 14時46分 東北地方太平洋沖に地震が発生しました。


私たちにとって生涯忘れられない日となってしまいました。



被害に遭われた方には謹んでお見舞いを申し上げるとともに、亡くなってしまった多くの方々のご冥福を、心よりお祈りいたします。



そして未だに解決のしない原発の問題。毎日不安はつのるばかり。

今年初ブログがこんな内容になるとは思ってもいなかったな。。。。



震災以来、正直twitterといいブログといい、何を書いたらいいのか戸惑い、ブログはもともと3ヶ月以上も放置していたこともあるのでこのまま書くのをやめようかと思ったりもしました。

正直言ってプロの書き手でもなんでもない私が、何かを書くも書かないもどちらでもいいこと。

何か鋭い視点を持ち、人々に訴えかけるような文章をかけるわけでもなく、理論的な議論の展開ができるわけでもない。

だから、書くも書かないも本当に自由。

だけどこうやって私のように何を書いたらよいかわからないという途方に暮れた気持ち。きっと同じ気持ちでいる人はたくさんいるのではないか。こういう気持ちを私がここに書き綴ることで共有するのもありなのかと。

そして皆にとって、今回の悲劇は初めての出来事で初めての経験なわけで、どうしていいのかわからない気持ちや途方に暮れることはしょうがないことではないかと思ったりするのです。

また考えていることや思っていることを言葉にすることで、自分自身も少し落ち着いて物事の整理ができたり、また新しい考えが浮かぶかもしれない。

そして、、、、、

このブログは、個人的に私へ気持ちを寄せてくれている友人たちへのお手紙やメッセージであり、また自分のための日記みたいなものだと自分自身思っているのです。

だからこの震災を忘れない為にも、そして自分自身がこの震災を受けて何を考えて何を思ったか、日々変化する自分の内側を、こういう機会だからこそ記しておこうと。そして私を支えてくれる大切な人々に、伝えておきたい事をこのような時にきちんと伝えておこうと。

普段ふざけた事しか書いていないので、時にはまじめに自分の思いを書いてみることにします。




未曾有の地震から、もう早くも3週間が経とうとしています。もう3週間なのか、やっと3週間なのか、どちらなのかそれも私にはよくわかりません。

スウェーデンでも震災後一週間ほどは、どのテレビや新聞を見てもすべて日本のニュースであふれかえっていました。

流れてくるニュースや映像に毎日胸を痛めては涙を流す、そしてただただ自分の無力感に途方に暮れるばかり。

変わり果てた日本の姿に比べてストックホルムでは、毎日が嘘のように当たり前の平穏な生活が流れているのです。とても綺麗な青空を眺めながらお散歩したり思いに耽ってみたり、友人達とお茶をしながらくだらない話をしたり、美味しい物を食べて感動したり。ありきたりの日常なのに、今の日本ではこのようなことをすることもできない人々がいる。

私が見ているこの津波の映像は、映画のワンシーンではないのか?

スウェーデンと日本のあまりのギャップと、津波の凄まじさにそう思わずにはいられず、何回も目を疑ってしまいました。

しかしこの遠い地から、いつまでもただこの状況に憂いていてもしょうがないわけで、悔しさ、怒り、悲しみ、無力感と様々な感情に押しつぶされそうになるものの、私にこの状況をどうにかできるわけでもないという現実。悲しいけれどそれが現実なのです。



そして、大勢の何も罪のない人々が一瞬にして亡くなり、どう考えても神も仏もいるようには思えない、そして私の祈りなんてもう意味もあるのかもわからないけれど、それでもただただ亡くなった方々のご冥福を毎日祈らずにはいられません。

また、被災地の方や避難生活を強いられている方に、一日でも早く心の平穏が訪れることと、ありきたりの日常が戻る事を、本当に本当に心から願うとともに、まだ深刻な状況が続く中、たくさんの方々が任務にあたられていることに深い敬意と感謝の念を表したいと思います。



私の親や兄弟、そして多くの友人たちは東京在住なので、大きな被害もなく皆無事で元気なようです。

ただ大学時代の親友が一人、茨城に住んでおり、震災後から連絡が取れなくなっていました。しかし先週ようやく連絡があり、彼女の町は津波にもやられ、ライフラインがすべて途絶えてかなり大変な思いをしたようですが、とりあえず彼女も彼女の家族も無事でした。

ただ私の大切な人々が無事に生きていてくれるというだけで、こんなに心から感謝をしたことは今までありませんでした。だから余計に、被災地で大切な人を亡くした人々の気持ちを考えると胸が苦しくなるのです。

何気ない事で笑ったり、美味しい物を食べて喜んだり、そんな平穏な日常がどれだけ貴重なのかを痛感させられ、またそんな当たり前のことが一瞬で消えてしまうという事実も目の前に叩き付けられました。

こんな時だからこそ、気がつくことがたくさんありました。

「守る」なんて、そんな立派でおこがましい事は私には言えないけれど、だけど自分が大切だと思う人たちくらいは絶対に何があっても支えよう、寄り添おう、そして支え続けよう。それくらいはできる人間になりたいなと。

そして自分が大切に思う人、会いたいと思う人には、極力時間が許す限り会っておきたいと思いました。「次」がいつでもあるとは限らないと痛感したからです。(日本の友人はなかなか遠くて会えないけど、次回帰国した時は必ず会いたいな。)



そして未だに深刻な状況で、出口が見つからない原発の問題。

私は、恥ずかしい事に初めて原発がどのようなものであるかを知り、それとともに今まで自分がどれだけ無関心に生きてきたか、また無知であったかに、正直、深い罪を感じずにはいられません。

震災以来、特に原発についてはたくさんの情報を目にし、色々な文献やブログや情報サイトを読み、この私の頭の中の小さな脳がふつふつと沸騰しているのではないかというくらいに、自分なりに一生懸命考えてみたり悩んだりしています。だけど考えても考えても何が間違っていて何が正しいのか、本当はよくわからない。絶対的なものや正義なんてないし、これが絶対に正しいと決めつける事も、私にはできない。

だけどきっと、こうやって考えて悩んで、たくさん勉強する事が、もしかしたら今の私にはとても大事なことなのではないかと思ったのです。

今までの日本では私を含め皆が皆、自分が判断しなくても誰かが判断してくれるだろうという傍観者的な考えを常にどこかに持っていたように感じます(そうじゃない人ももちろんいるとは思いますが)。だけど今回の震災と原発のことで、初めて日本人みんなが日本という国について一人一人が考えているような気がするのです。

もちろん、今まで私たちが過去に見過ごしてきた事、見誤ってきた事の多数にきちんと反省することも重要だと思います。そしてそれをふまえ、これからの日本は、どういう社会、どういう未来を作っていけばいいのか、一人一人がたくさん考えて、悩んで、そしてみんなで思う存分話し合っていけるようになれば、きっとこれからの日本がみんなとともに前に進んでいけるような、そんな気がするのです。

もちろん、文章にしたらとても簡単そうですが、きっと前に進めるようになるまでは、たくさんの時間が必要で、たくさんの人の協力や知恵、たくさんの衝突、そして辛い事もたくさんあるかもしれない。だけどきっと、この日本という国が変われるこの機会を逃してはいけないと思うとともに、あまりにも辛すぎることばかりが起きている現状で、そこが今の「希望」であり「光」であるように思うのです。

きれいごと並べてっていう人もいるかもしれない。だけどそれくらいの希望を持っていないと今の私には辛すぎてやっていられない。



そしてただこれはあくまでも私の一個人の意見だけど、原発は、この先この世の中からなくなってほしいと、私はやっぱり思うのです。

なぜ?

頭の弱い私には込み入った説明や難しい事や立派な事は言えないんだけど、、、、、、、、ただただ、単純な気持ちからなのです。

まだ私には子供はいないけれど、将来もし自分に子供ができたなら、自分の子供にも、そして今いる子供達にも明るい未来を残してあげたいなって。ただ素直にそう思うだけです。


最近、twitterでも出回っていたので知っている人も多いかもしれませんが、私はこの飯野さんという方のブログ「息子へ」に深く共感しました。彼が原発をいらないと思う一番最大の理由というものを最後に述べているのですが、私がなんで、やはり原発がこの世界からなくなってほしいと漠然と思っているのかをまるで代弁してくれているみたいです。そして彼の素晴らしいところはきちんと原発をなくすためにはどうしていかないといけないのか、また推進派の人の意見にもきちんと耳を傾けて話をしようとおっしゃっているところです。そして何よりも愛情を感じます。

もし、まだ彼の「息子へ」を読んでいないのなら、是非読んでみて下さい。



最後に

私は今、海外に住んでいます。きっと海外に住んでいる人ならわかってもらえるかもしれないけれど、スウェーデンに住んでいようがどの国にいようが、母国というものは、私に取っては常に心のよりどころであり、自分のアイデンティティーのひとつです。だからその母国の、私の大切な人がたくさん住んでいる日本のこの難局を、私も皆と共に乗り越えていけるように、たくさん勉強してたくさん考えて、また今この場所でできる最大限の努力をしようと思います。

そして、今現在、何不自由なく生きていられる事に心から感謝をし、被災地へのできる限りの力添えもしようと。


日本はもうすぐ桜の季節だね。

桜、みたいなぁ。

きっと今年の桜は、一生忘れられない桜になるんだろうな。

東京のみんなは、こんなときだからこそお花見なんかしながら、みんなでこれから先のことをいっぱいいっぱい語り合ったらいいと思うのです。

私の分も、精一杯咲いている美しい桜を思う存分楽しんでね☆


4 comments:

Maiko said...

mikiちゃん

みきちゃんの祈りは大事な小さな矢のひとつで、それらが集まれば強靭なものになる。
何かで読んだけど、ポジティブなエネルギーの集合体は、ネガティブなエネルギーのそれよりも格段に強くなるんだって!なぜならば、前者は集結で、後者は分散のエネルギーだかららしい。

今のわたしは自分の生活でいっぱいでボランティアにいく余裕もないし、寄付できるお金もないし、自分にできることといったら祈るくらいしかできなかった。
とりあえず神社でお祈りしてみたり。。。自分はなんて無力なんだろうと思った。

こうやって東京でたいした被害も受けていないわたしがこう言うのは、被災地の方々からすれば口でいうのは簡単と言われてしまうかもしれないけど

今回のことで日本人が目を覚まし、皆が安全で平和な世の中で暮らせるよう人々の意識がポジティブな世界へと向かって行く様な気がしているよ、とわたしも勝手に思ってる。

みきちゃんのように遠く離れた海外にいて、自分は無事だけれども日本の事を考えると気が気じゃなくてそれはきっとすごく苦しいことなんだと思う。

みきちゃんの祈りは天に届いてるはず!

大好きな日本を守りたいね。

桜が、開花したよ!

石原都知事が花見自粛発言を発令してた。こういう時だからこそ、ハッピーなエネルギーが必要だと思う。

長く辛い冬を越した者へのご褒美なのに。

(スエーデンからしたら日本は余裕なのかもしれないけど。笑)

はんな said...

はじめまして。
今回の日本の地震について思うことがあったので、初めてコメントします。

私はスウェーデンと日本のハーフで普通はスウェーデンに住んでいます。ただ母親が仙台市の人ですから、日本に行くときは、いつも仙台に行っていました。

今回、地震があって私もとても心配しました。でもスウェーデンいるから、何も出来ることがないから、とても悲しかったです。でも仙台に住む祖父母といつまでも連絡が取れないので、日本に来ました。だから今は日本います。そして、親戚の人2人と祖母は亡くなりました。母親の実家も流されました。スウェーデンいるとき見たニュースの映像よりも、現地の悲惨さは100000000・・・倍以上ひどいです。スウェーデンで普通の生活を送れることが、何だか申し訳なくなったので、しばらく日本にいようと思います。今はちょっと関東の親戚の家にいますが、来週から通訳のボランティアでまた現地へ行きます。

みきさんは日本人ですから、もちろん遠い日本のことが心配と思いますけれど、このことを忘れなければよいと思います。スウェーデンで出来ることは募金くらいしかありませんが、私もまたスウェーデン戻ったら、忘れないで生活したいなと思います。

MIKI said...

ばさばさ

お返事遅くなってごめん!コメント欄の調子が悪くて、なぜか返事を書いたんだけど反映されていなかった。。。。

元気かな?あれからもう2ヶ月も経ったんだね。早いなぁ。まだまだ原発の問題が残っていて毎日不安だね。

私はこの数ヶ月、スウェーデン語の学校に久々に通い、それが大変すぎて死んでたよ。だけどやっとおわった〜泣
なので、やっと時間もできたのでブログ遊びにいくね〜!

MIKI said...

はんなさん

コメントありがとうございます!それなのにお返事が大変遅くなってしまいごめんなさい。コメントの返事をしたつもりだったのですが、どうやら反映されていなかったみたいで。。。さっき気がつきました。ごめんなさい!

ハーフなんですね!
私にも一人ストックホルムでハーフの男の子のお友達がいるんです!


そして震災でご親戚をなくされたとのこと、心よりお悔やみ申し上げます。

その後どうお過ごしでしょうか?
あれから2ヶ月が経ちましたが、おそらく被災地はまだまだ大変な状況が続いている事だと思います。
はんなさんは通訳のボランティアに行かれたとの事ですが今もまだ被災地にてお仕事をしていらっしゃるのでしょうか。少しでもできる事を実行に移しているハンナさん、本当に素晴らしいと思います。頭が下がるおもいです。

スウェーデンでは徐々にこの震災の話も出なくなりつつありますが、やはり私は原発の事なども含め毎日気がかりでしょうがありません。
この震災は忘れたくても忘れられない日になりました。そして自分の価値観も少し変わったように感じます。
きっとハンナさんはご親戚やおばあさまも亡くされているので、私以上に色々と変化があったのではないかと思います。
ハンナさんのおっしゃる通り、あの日を忘れずに生活するという事はとても大切だと思います。
そして、この先の未来の為に私たちができる事が何なのか、一人一人が考えていく必要もありますよね。

私のたまにしかアップしていないブログを読んでコメントしてくれてありがとうございます!
またよかったら、日本での事後報告でも教えて下さい。

ではでは